石孫本店 醤油の寒仕込み

10月下旬、りんごの収穫ラッシュが始まった。
岩崎から川をまたいで北隣り、県内でも最大規模の果樹の生産地として知られる十文字地区では、あちこちに真っ赤な林檎が輝いていた。産直や道の駅にはマスカットや梨、洋梨も並び、いつにも増して混雑している様子。
朝晩はしんと冷え込んで、雨の匂いは冬の始まりを連想させる。

この時期、日本酒蔵や味噌・醤油蔵は段々と忙しくなる。
膨大な積雪量に支えられる豊富な水資源と美味しい米。そして江戸時代には東洋一の銀山とも言われた院内銀山による経済的な恩恵を受けて著しく成長を遂げた、秋田県南部の醸造産業。

冷却装置や、消毒等に対する知識が普及する以前は、1年の中でも寒冷な時期に仕込むことが多かった。
発酵熟成の種になる麹の変化の速度のコントロールがし易いこと、雑菌などの繁殖が起きづらいことから、発酵食品の歴史の中から編み出された経験則の蓄積。”寒仕込み”は醸造文化の原点とも言える。

岩崎では、石孫本店で醤油の仕込みが始まった。

石孫本店は、現在岩崎で味噌等を醸造する3つの蔵のうちの一つ。
安政2年 西暦1855年の創業で、創業当時からほとんど変わらない天然醸造という手法で、手造りの醤油・味噌を作っている。
醤油も味噌も添加物を使わず、四季の気温差を利用しながら醤油では1年半、味噌では約8ヶ月を掛けて熟成・発酵を進める。材料には県内で収穫された米、麦、大豆を使用している。

この蔵では、醤油の仕込みは10月下旬と2月中旬からの2回。
味噌は真夏以外の季節で、醤油の合間を縫うように仕込みを行っている。

7代目当主となる石川果奈さん。
家業を継ぎ、従業員と共に天然醸造の手法を守っている。
職人手間を掛けて見守っているとはいえ、不確定要素の多い天然醸造。
工業的な技術を導入することもできる一方で、天然醸造を続ける理由を伺うと、
“この蔵には、その周りには、水や土があって、ここで育った材料があって、この蔵にしかない味がある。自然の生業に合わせて出来上がっていく味には、この土地らしい顔があるはずだ、それを大切にしたい”、と話してくれた。

話を伺っていると、つい先日フランスから戻ってきたという。先代6代目、果奈さんのお母様から海外との取引を始めて20年ほど経つそう。
フランスでは言わずもがな、ワインの醸造がさかん。風土を尊重したものづくり、味づくりが評価される土地で、石孫本店の醤油・味噌は常に一定の評価を得ているという。
日本の食文化や酒文化が世界の美食家の間で一目置かれている中で、いち製品としての味ではなく、世界から見た日本、秋田という土地を象徴する味のひとつとして認識されているのだろう。

ちなみに石孫本店という名前は、スーパーマーケット以前、小売店販売が一般的だった時代の名残。

粉砕された麦と、蒸かしたての大豆、種麹の撹拌が終わると、くべてあった木炭に稲藁をかざして燃し、埋み火を作っていた。木炭も稲藁も、もちろん地元のもの。

写真で稲藁を燃しているのは、石孫本店に勤めて13年目になる畑澤さん。石孫本店のすぐ近所で育ったという。東北大震災をきっかけに仙台から地元・岩崎に戻り、家族の紹介からこの仕事に就いたという畑澤さん。真っ直ぐな視線が印象的だった。

真夏以外の季節は、味噌と醤油の醸造が続く石孫本店。春には雪が降ったり30℃に達したり、秋は終わらない暑さ、冬は大降雪や突然の冬日和。常に変わり続ける環境の中、特にデリケートな麹造りには神経を尖らせる。
発酵の初期段階を手助けする埋み火と、麹菌自ら発する熱による過燃焼を抑制するための換気。麹が最大限の旨味を引き出すために、昼夜を問わず世話を続ける。

親方と呼ばれているのは斉藤さん。岩崎の出身で、石孫本店に勤めて24年目になる。
親方と呼ばれているが、醸造の現場での肩書としては杜氏(とうじ)。現場監督的な役割を担うため、全体の進行を管理する。

石孫本店の前の道、旧羽州街道がまだ国道だった頃、バスやトラックが煙を吐きながら日本家屋の前をぞろぞろと走った幼少時代から比べると、店も減り、人通りもまばらになった。
元々は食品に一切関係ない仕事をしていたと言うが、この仕事を始めてからは食品に入っているものや、自分の家庭菜園に使うものを、意識して選ぶようになったと言っていた。

畑澤さんの仕事の様子を見ていた親方が、”随分腕が良くなった”と教えてくれた。
原料に含まれる成分を、麹菌と気候の力を借りながら旨味に変えていく。畑澤さんが成長していくのを十数年見てきて、その変化はどこかにはっきり見える物ではないけれど、ここにある素材が、立派な味に、顔になっていく様子が、想像できるような気がした。

醸造の詳細な工程に関しては、石孫本店さんのウェブサイトから確認できます。
https://ishimago.jp/
また仕込みの時期に合わせて見学を申し込むと、今回の写真のように醸造の様子を見学することもできるので、岩崎に訪れる際はぜひチェックしてみてください。