わらの話 冬のしごと

これまでの記事の中で度々登場した、藁。
米の一大産地である秋田で、必ず副産物として発生する藁だけど、今僕たちが暮らしている中で 藁を認識することって あまり無いんじゃないだろうか。

藁仕事。物流や除雪が今のように行き届ず 自由に身動きがとれない冬の間、縄を綯ったり、筵(むしろ)を編んだり、人の手によって形を変えて いろんな仕事に用いられた。冬の間に木々を守る雪囲いも、雪靴も、蓑(みの)も、藁。
かしま様も同じく、人の手によって形を持った藁のもの。集落に疫病などの災いが立ち入らぬように、そして五穀豊穣の祈願として集落の人が作る、道祖神、守り神。

食料廃棄が問題になるずっと前、飢饉で人が亡くなったりしていた頃、日本の地域がそれぞれの経済規模を表す指標としていたのが 石高(こくだか)。とにかくお米を筆頭に 穀物が潤沢にあって、その地域に暮らす人間が米を満足に食べられることが とても重要だったのかもしれない。
田植え機がない頃の田んぼはもう少し隙間が広くて、農薬や肥料で環境をコントロールできなかった。同じ面積から収穫できるお米の量や質は、現代と比べると明らかに不利であったと思う。

お米、衣食住の食の根幹を担う存在と、その副産物として発生する藁。燃やしたって煙たいし、茎はなんだか丈夫だし、なにかしらに使えるんじゃないかというところから、僕たちが今想像する藁製のものに進化して来たんだろう。立派でこしのある藁が これだけあるって、うまい米がたくさん採れたんだって、見せびらかしたいくらいの気分だったろう。

今では、藁縄の代わりに化繊のロープが、草履の代わりにサンダルが、蓑の代わりにレインコートが売られていて、あまり高くなく手に入る。藁のものは、必要性が薄まり 役割を失ってくる。そしていま 藁のものが直面しているのが、いわゆる造り手不足。まあこれは 藁だけじゃなくて、一大産業である日本酒や伝統工芸にも起きていること。

麹室で 麹箱の蓋として使われる筵も、岩崎の集落を守っているかしま様も、お爺ちゃんお婆ちゃんが極楽浄土で暮らすようになったりした日には 誰も作れる人が居なくなってしまう。そうなってしまえば、既製品の筵で作ったらいいのかな。どこかの知らない人に教えて、それっぽく作ってもらえばいいのかな。それとも僕らが少し心に余裕を持って、ここで育った稲藁がその姿を全うできるように手伝ってあげたらいいだろうか。

僕らがいま、近くのお母さんが作った筵でふかふかに育った麹で仕込んだお味噌を食べたほうが、無菌工場で作られたお味噌よりもなんだか元気に暮らせることに気付いたってことは、大きなヒントだと思う。僕らの身の回りのモノすべて、誰かの仕事の結晶。食べるものから、家から、ゴミ収集まで。すべてが匿名でシステマチック、裏を返せば無愛想の暮らしに憧れる時代は半ば終わって、バーチャルだろうとリアルだろうと、手触りを感じられる関わり方が少しずつ居場所を取り戻してきた。
僕が、あなたが、今そこで暮らしていることを、もう少しダイナミックに感じたい。本当の本当は、ここで暮らすも外で暮らすも自由なんだから。