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2023年、1月下旬。昨年末には序盤からかなりのペースで積雪が続きどうなることかと思ったが、それ以来温かい日がしばらく続き、まだ雪降ろしが必要ない建物が多い。
ニュースでは列島寒波と繰り返すので、連続して気温が低い日もあるものの、雪の勢いは幾らか穏やか。
今回お話を聞かせていただいたのは、高順商店の高橋史知さん。現在30代半ば、祖父の代から続く小売商の3代目で、専務取締役を務める。
現在岩崎を通る道は、3本。
岩崎の集落を貫き、途中大きく折れ曲がり、城下町の風情を残す 旧羽州街道。集落の外れを走り、陸橋で線路を跨ぐ国道13号。そして国道と沿いながら、土手の上を走る高速道路。
高順商店さんは、旧羽州街道、千歳公園手前で道路が折れ曲がるあたりに商店と、国道13号沿いにガソリンスタンドを経営している。
かつて岩崎の集落には、幾つかの個人商店があった。今は十文字側に道を渡ればスーパーやホームセンターが数店立っているため、大きな買い物はそちらで済ませてしまうだろう。
高順商店の元をたどると今から約55年前、お爺さんが米問屋や食料品、鶏、夏にはかき氷などを販売していた個人商店だった。いろんな商品を扱ってきた中で、豆炭(まめたん)と呼ばれる小さな石炭燃料を販売していたことから、燃料販売にも力を入れ始めたそう。
ガソリンスタンドはもともと、現在高速道路の土手が広がるあたりに小さなスタンドがあったが、高速道路の工事に伴い現在の場所に移転した。
史知さんは県外大学に進学後、都内で燃料メーカーに就職。家業を継ぐことは意識していなかったものの、5年間ほど勤めたところで東北大震災が起こり、急遽実家に戻って家業であるガソリンスタンドの手伝いを始めた。ガソリンスタンドに燃料を販売する仕事こそしていたものの、実際にスタンドに立ったり、灯油軽油重油の配達を行ったりと全く経験のない仕事が多く、最初の1年は記憶も無いほど忙しかった。今ではガソリンスタンドの業務を取り仕切り、父にもなった。
史知さんが幼い頃は、町内会で海やプールに旅行に出掛けたり、岩崎の真横を流れる皆瀬川で川遊びをしたり、千歳公園で野球をしたり、外で遊ぶ機会がたくさんあった。岩崎小学校は2011年に閉校になってしまったものの、集落内にはお子さんの同級生と、その家族が暮らしている。
自分が育った町に、まだ子供は居る。でも川にも公園にも、遊ぶ子供の姿を見る機会は減った。仕事はみな曜日を問わず忙しいし、景気もいい訳ではない。町内会の集まりやお祭りは感染症の影響でめっきり減ってしまったし、地域の子供たちが学年を跨いで遊ぶ機会は少ない。若い世代が持つ、町内会なんて面倒くさい、近所付き合いしたくない、そういう気持ちも理解できる。でも子供を育てる世代が意識的に行動を起こしてく責任を感じている、と言った。
僕たちが暮らしている 人の輪も 土地も 文化も、微速ながらも常に変化し続けている。
いろんな営みがあった中で、本当に不要だった物事もあったかもしれないけれど、中にはその価値を全く見落とされてしまっている物事もあるだろう。物事が合理化されていく中、ふと思い出す温かい記憶もあるだろう。
70代を超える先輩たちが思い出す風景、僕たちが思い出す、そしてこれから憶える風景、そして子供たちがこれから憶える風景。
いま体力と感度を持ち合わせる僕らの世代が、どんな風景を立ち上げるか。誰かに言われなくともなにかを残そうと思うのは、人間の性だと思う。