片野さん 1 まちの気配

岩崎を通る線路を跨ぐ形で掛かる陸橋のすぐそばの高台にあるのは、ふれあいセンターかしま館。会議室や体育館、調理室などを備えたコミュニティーセンター。コロナの前は 季節ごとの催し物があって、岩崎のお母さんのご飯を食べたり、とにかく美味しいものに出会える場所。
受付でお話を聞かせてくださいとお願いすると、片野さんというお父さんがいろんな話を聞かせてくれた。


人口の比較的少ない 小さな地域であるにも関わらず、両手じゃ足りないだけの名字が存在すること。集落の中心部、守られた場所に保育園があること。お城や見張り台があったこと。いまの町の中心部はもともと山を切り出した部分であること。いま僕らがふと町を歩いたときに感じる違和感だったり、町をいまの形に作り上げたヒントは、やっぱり歴史にあるようだ。
そもそも栗駒山系の爪先みたいな立地。川沿いにせり出す斜面は周辺の見通しが良かったようで、城を建てるのに適していたのだろう。


写真は岩崎の郷土伝承かるた。岩崎地区内、それぞれの句に縁のある場所に 木碑が設置されている。

あまり詳しく話してもキリが無いんだけど、江戸時代 秋田の土地は、茨城の出である佐竹家に治められていた。岩崎の周囲を監視するように鎮座する 鹿島様(かしまさま)と呼ばれる道祖神も、茨城にルーツを持つとされている。またここ一体は岩崎城の城下町として栄え、味噌蔵酒蔵から鍛冶屋まで、一通りの町の機能を有していた。廃藩置県の直後から約3ヶ月半、”岩崎県”として独立した政治を行っていた期間もあった。

当時の町長の方針により、今の下湯沢駅周辺には公共浴場が、今の保育園がある土地には 青年学校(現在の中~高等学校)が建設され、生活水準の引き上げに力を注いでいた。

なんてね、町の人に聞けば結構いろんなことを知っていて、すごくフランクに教えてくれる。僕は歴史が大好きな訳じゃないんだけど、今表層的になっている町のかたちが、どういう変遷を辿ってきたのか妄想するのがすごく好き。
道路もまだ舗装されていなかった頃を想像して歩くのもなかなか乙なんじゃないだろうか。