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お彼岸のときに話した つたこさんから、岩崎の集落からすぐ裏の山に向かう橋の一つが 21年中に老朽化で取り壊されるという話を聞いた。雪も幾分溶けてきて 山の方まで少し歩けそうな様子だったので、道を折れて山の方に少し進んでいったところで、雪で折れた木の手入れをしているお父さんに声を掛けてみた。
石張りの職人で、石材店に勤めていた政雄(まさお)さん。
岩崎保育園の直ぐそば、岩崎の中でも大沢と呼ばれる地域の入り口に住んでいて、少し登っていけば大沢橋、大沢という棚田地帯を上がって、大沢沼、大沢山と続いていく。
岩崎一体の山は、栗駒山系の末端。このあたりでは天ケ台(あまがだい)が標高約300mで、大沢山はその子分。
政雄さんは幼い頃から山菜を採ったりスキーを練習するためによく大沢山を歩いたそう。
まだ雪は残っていたものの、沢の開けている部分を一緒に上がった。
大沢は、いわゆる里山的な風景で、湧き水の流れる沢を造成して田んぼにしたような場所。歩いている間ずっと、雪解けの水の音がどこかから聞こえてきた。水路はこコンクリートなどで整備されておらず、冷えた水が流れる中を水藻が泳いでいた。もう少し暖かくなってくると、近くの千歳公園の清掃と同じくらいの頃に、この水路のまわりを除草するらしい。
今まではこのあたりの田んぼは全部誰かが手を掛けていたのだけど、ここ十年近くで少しずつ耕作放棄地が増えてきている。
沢を上まで登っていって、林道に当たる頃。後ろを植林された杉に囲まれた辺りに、昔は学校があったらしい。いま 岩崎保育園がある場所に建っていた学校とはまた別で、政雄さんもここまで通っていた頃があるそう。手持ちの資料を見てみたけど該当する部分がなくて、今度改めて聞いてみようと思った。
お家の前で話していたときから政雄さんは、”この辺りは(暮らすのに)本当にいい”と繰り返し話した。僕にとっては城下”町”に見えていた岩崎だが、政雄さんにとっての岩崎は、町だけでなく 山までを含んだ”里山”の岩崎なのだろう。
秋田は政策として杉をたくさん植林した経緯があって 山の植生が崩れているとも言える。また間引きをされなくなった杉林では地面に日光が当たらなくなり、熊が人里まで降りてきたり保水力が下がったり。昔は雑木林で見通しが良かった山も、今は細い杉が鬱蒼と茂っているらしい。
暖かくなったら、大沢山まで一緒に登って山菜採りを教えてくれるって。