羽場こうじ店・絹子さん 太平洋から見た秋田県南

増田の、岩崎側? 横手市と湯沢市の境界線のすぐ近く、羽場という地域で麹・味噌を醸造する 羽場こうじ店さん。大正の創業から変わらない製法で、三代に渡って麹とお味噌を作っている。
ちなみに内蔵(うちぐら)の大通りにある 旬菜みそ茶屋くらを さんは、訪れた人に秋田県南部の家庭の味覚を体験してほしくて設けた、羽場こうじ店のお台所。

僕が今まで写真の仕事をしてきた中で、くらをの女将であり 羽場こうじ店の娘である百合子さんには、度々お世話になってきた。
地元・増田を離れて暮らしていた時に体調を崩してから、地元に戻りお母さんのご飯で少しずつ元気を取り戻していったという 百合子さんのお話を聞いて気になった、お母さんの存在。
だから今回は、お母さんの絹子にお話を聞かせてもらった。

絹子さんは、仙台の出身。羽場こうじ店のお家に嫁いだ当初、お姑さんはなかなか家の台所に入れてくれなかったようで、ほかの従業員さんに混じって麹の仕込みをしながら このあたりの食文化を時間を掛けて習得してきた。それまで暮らしてきた土地のご飯が質素だった訳ではないけれど、このあたりのご飯はふだんからすごく贅沢だと感じたそう。
麹や味噌、お醤油だけでなく、山菜や畑の野菜、近所の豆腐屋さん、行商のお魚屋さん、それぞれがすごく質の良いものを扱っていて、季節ごとに口にするものがはっきりと変わっていくのがとても印象的だったと言う。


麹の仕込みは、指先にすごく力を入れる作業。指のかたちはリウマチではなく、長年の作業で変わったそう。

また秋田県内は、沿岸内陸問わず、ハタハタ(鰰)が大好物。冬の間すべてが雪に埋もれる秋田において、極寒の日本海に水揚げされるハタハタは貴重なタンパク源だった。一般的には麹や米ぬかなどを使って保存食的な加工をして食べることが多いんだけど、絹子さんが初めて挨拶しに来たときにお義母さんが振る舞ってくれたのは、お義母さんの十八番であるハタハタ鍋。新鮮なハタハタにたまり醤油、ネギ、豆腐。シンプルなレシピだけど、本当に美味しかったそう。でも太平洋沖で育った絹子さんには、お鍋に一尾まるごとのお魚が入っていたのは衝撃的だった。

麹・味噌の仕込み作業は朝早くから始まるので、午前と午後にそれぞれ休憩の時間がある。このあたりだとおやつの時間とか たばこの時間と呼ばれる時間、お姑さんは毎日のように お味噌汁などちょっとしたご飯を準備して従業員に振る舞ったという。お義母さんが亡くなってからは、代わって絹子さんが”おやつ”を準備して、皆で休憩を取る。